梅干博覧会トップインタビュー

梅干会社のオーナーに「梅干産業」について語っていただきました。

大谷浩之氏

■創業は?
昭和43年、私の父、(先代社長・大谷完治(おおたにかんじ)が「梅香食品工業」の屋号で創業しました。私が2代目に就任したのは、29才の時、今から3年前です。ある日、突然、「わしはもう辞めるから、お前やれ。」と先代から言い渡されました。

■随分お若くして社長に就任されたんですね。
時代の流れもありました。大手食品メーカーの事件をはじめ、食品業界が転換期を迎えていたことや他の梅干屋さんで私より一つ上の40代の後継者が社長に就任しだした世代交代の時期だったので、このタイミングで、うちも変えようかということだったようです。

■この業界の中では、かなりお若いほうだと思いますが、ご苦労されることも多いのでは?
比較的、人と話すのは苦手な方ではないので、特に苦労はないです。ただ、どこまで自分の意見を突き通おしていいものかと・・。やっぱり、自分の意見を言いたいですけど、まだ言いきれないんですよ。苦労と言えば、そこらへんの歯がゆさですかね。もう少し、自分の意見を通すだけの実力をつけたいと思います。

■「不況の辛い時期に社長になりましたね」と言われませんか?
言われますけど、これしか知らないんで。いい時期は、凄かったらしいですけど・・。そういう時期を知らない社長もいいんじゃないんですか。売れてた時期を知ってた人たちは、危機感というものをそれ程、せっぱつまって感じれないと思うんです。『そのうち、また、売れるようになるかも。』とどこかで思っているからかも・・。私は、それがない分、本当の危機感を客観的に感じ取れていると思います。どんな風にして、うちの商品をアピールし、表現していこうとかと考えてます。

■社長職はどうですか。
それほど苦労はないです。自分が楽しくないと周りも楽しくないですから、何とか楽しめる会社になるように、自分なりのスタイルで変えていってます。仕事に対するやりがい、誇り、『やったら一つ、答えが見えてきた。』というように、一つの方向性を示せるようには努力しています。とりあえず、やりがいのある楽しい会社にしていく。働いて楽しい。会社にいて楽しい。そんな会社ですね。仕事に対してやりがいと満足感をたくさん味わってもらえるような会社に変えてきています。だから、今、非常にいい会社だと思います。

■会社経営で大切にされていることは?
人が一番です。何よりもやっぱり人です。人は会社の顔ですから。先日、とあるお客さんが、「大谷さんところの梅干しを食べたとき、みんなの笑顔が伝わってくるように感じました。」と言ってくれました。そういう雰囲気の会社にしていこうと思っています。
会社のイメージカラーは、紫からピンク、今は黄色です。特に、これと言って意味はないのですが黄色だったら、お祝いごとから仏事まで割と幅広く使えますから。イメージカラー、社風、売り方、全てを変えてきてます。

■主力商品は?
うすじお味梅です。先代がつくった味で、これは、抜群にいい味です。これをもっとアピールしていきたいですね。会社のカラーは変えていってもこの味だけは、守りつづけます。

■社長に就任してから印象深いことは?
梅肉シート」を開発しました。これは、シート状になっている梅干です。人口着色料は何も使っていませんが、本当にきれいな梅干本来の色に仕上がりました。考えてみると日本食材には、赤が少ないので、巻物や刻んでトッピングにするなど、いろんな料理の彩りに使ってもらえればと思います。私共でも、ロールパン、サンドイッチ、クッキーを作りました。最近、やっと軌道に乗って、右肩上がりで伸びてきました。これだけですけどね(大笑い)。
先代から受け継いだものばかりで、一から立ち上げるという苦労を知らなかったので、いい経験でした。
どう作っていくか、どう売っていくか、どういう商品に持ち上げていくかを一から考えるのが非常に楽しかったです。値段もある一線がないので、適正価格を見つけるのも面白かったですね。。梅干作りと全く違うので、何もかも一からでしたから、お金もたくさん使わせていただきました。(笑)物作りは楽しいですね。私は、凝り性なもので、職人肌の経営者だと思っています。

■梅干屋さんの社長になられることに関して?
もともと、梅屋を継ぐという意識は多少、もっていましたが、自分のやりたいこと、自分の可能性は、自分で切り開きたいという気持ちがどこかにあったので、数多く逃亡させてもらいました。 大阪、海外、オーストラリアへは2年、全財産をもって逃亡しました。

■オーストラリアでは、何をされていたのですか
プータロー(フリーター?無職?)です。ワーキングホリデービザで渡航していたので、履歴書を片手に点点とました。

■英語は行く前に勉強されたのですか?
全然。全然しゃべれませんでしたが、まったく不安はありませんでした。蓄積より行動の人間なんです。そう、直感で動くタイプなので行動が全てです。行動してみないと道も開けませんし、やらなければならない自分らしさも見つけられません。その前に変な知識を蓄えるより、行ってみて、現地で自分に一番必要なものを勉強していくやり方を見つけていくという方が良かったんです。だから、もう行き当たりばったりの人生で。(ハハハ)

■どんな暮らしをされたのですか?
現地では、オーストラリア人5人と暮らしていましたし、バグパイプ(楽器)で現地の仲間とバンドを組んでイベントに参加したり、すっかり現地に溶け込んでいました。必要な英語は、そんな生活を通して覚えました。

■オーストラリア生活で思い出に残っていることは?
世界的に有名な馬のレース、『メルボルンカップ』のオープニングセレモニーで演奏部隊に加えてもらいました。それから、アンザックの戦争記念日の戦争パレードへ日本人としてパレードに参加させてもらいました。非常に反日感情の強いところで、特に戦争記念日は、反日感情が最高潮に高まっているときなので、普通、日本人は表に出ない日なんですが、日本人としてパレードに参加させてもらいました。おかげで、現地のテレビの取材を受けました。『変わり者の日本人ということで。』。色んな経験をさせてもらえましたので、楽しかったです。

■本当に現地に溶け込んでいたんですね。
先々に、自分は会社を継がなくちゃいけないという気持ちがあったので、まったく自分ひとりの世界を体験できるのは、この機会しかないと思いまして。日本にいれば,情報、友達、家族というのが、まわりにいて、怠ける環境、流される環境がどうしてもできてしまいます。全く独りになってしまって、自分しかいなかったら流れるにも流れないんで・・。そういうことを勉強してみたいなあと、ずっと思っていたんですよ。それをオーストラリアで試してたんです。だから、周りの日本人には溶け込めませんでしたね。その分、いろんな経験をさせてもらえました。

■これからの経営方針は?
脱梅干屋を目指しているんです。私は、梅干が売れている時期を知らないんで、幸いだと思っています。有難いくらいです。売れない時期から梅業界に入ったので、いかに自社の梅干を売っていくか、いかに伸ばせるところを見出すか、その見出したところをどう表現していくかを、常に考えています。
最近、紀州というブランドに頼らない会社作りに乗り出しています。非常に難しくて、どうもっていこうかわからないんですけど。でも、そういう方向にもっていかないと生き残れないだろうと思いまして・・。紀州というブランドではなく「うめか」とういうブランドをどうぶつけていくかを常に考えながら、それに見合う商品の開発に心がけています。また、商品の提供だけでなく、その有効な使い方などもきちんと示せる技術力を育て、信頼ある企業になればどんな時代にも生き残れるはずです。梅干に味をつける「味付け屋」ではなく「うめか」という押しても押されぬメーカーに徹します。

■凝り性だとおっしゃっていましたが、2代目に就任される前に、何かの職人を目指されていたとか?
いいですねー。でも、企業に勤めたこともなく、社会人経験すらゼロでしたから・・。アルバイトばっかりしてました。アルバイトは数知れずやりました。調理、日雇い。甲子園でビールを売ったり、電気配線で電柱に登っていたこともありました。調理のアルバイトが一番楽しかったですね。今は全然、作りませんけど。(苦笑い)

■いろんな経験が今に繋がってきてるんですね。
繋がるようにもってきてます。自分でもちあげてこないとつながる事も繋がらないですよ。せっかく、いろんなことを学んできているのに、そのままにしておくのはもったいないですからね。いかに頭を回転させ、どこまで持ち上げて、どこで、どういう風に繋げていくのかは自分次第ですから。あえて繋げてきてるんですよ。今まで、知り合った人たちに申し訳ないですから。今まで僕に手助けしてくれた人はたくさんいます。
何かの機会に僕の噂話しを聞いて、「さすが大谷やな。ここまで、こういう風な形で生かしているんか!」と、思ってもらいたいですね。それだけお世話になっっているから、無駄にするわけにはいきません。人のつながりは大切です。人って繋がるんだなと分からされることが一回ありました。それから人の繋がりは、どこにいても、いつかは繋がるものだと信じています。一生懸命やっていることが伝わってくれれば、その人への最大の恩返しになるなあって、そんな気でおります。

■普段心がけている事は。
嬉しいことは嬉しい。悲しいことは悲しい。楽しいことは楽しい。自分の感情には常にしっかりと新鮮でいたいです。心を怠けささないように、できるだけいろんなものを感じ取れるようにしています。それを助けてくれているのが音楽、バグパイプです。日本各地、ビール2缶も頂ければ、どこへでも演奏に行かせて頂いてます。音楽活動をしていると、原点に返れます。いつも新鮮味を味わえます。お客さんの気持ちも、自分の気持ちも素直に理解できます。

■バグパイプをやりだしたきっかけは?
女の子にもてたかったから。

■もてましたか?
もてませんでしたねー。(残念そう?)

■趣味は、バグパイプの他に?
カヌー作りです。池に浮かべて、ブハーッとビールを飲んでいます。

■地域における企業の役割をどんな風にお考えですか?
多くの経営者は自分の社風にあてはめようとするようですけど、それじゃー、働く人は楽しくないでしょう。その人のやり方、考えをいいものはいい、悪いものは悪いで吸い上げ、また、引っ張りだしてあげられるようなトップでありたいです。若い力を伸ばしてあげる。これが唯一、私に出来る地域への貢献です。ひとりの力のレベルを上げる。それが派生していけば大きくなりますから。

■夢は?
目標しか持ってません。夢というのは、叶えられるか、叶えられないか分からないものを言うでしょう。私は、叶えられないものは無いと思っているので、全部、目標です。目標しか立てないです。最近立てた目標は、自分が納得できる新しい工場を早く建てられるようになることです。先代が、ここまでの工場を作ってきているんで、私にも出来ないことはないでしょう。そこで、もっと納得できる商品を作れるようにしたいです。

■弛まぬエネルギーの源は?
海外での経験です。私の中で、超巨大な幹になってます。(両手でゼスチュアしてくださいました。かなり大きいようです。)本当に大きいですよ。まだ、その大きな幹の周りをウロウロ歩いているような感じです。29歳で、社長に就任。しかも不況の真っ只中で。普通だったら鬱になってふさぎこんでしまっていると思います。海外での自分が自信になり、行動が全てというコンセプト、生き方の道ができました。海外生活で養った精神の強さを有効に使わせて頂いてます。おかげさまで、自分としていることもできてます。

■社長ご自身も工場に入られるんですか。
普段、会議や人に会うとき以外、作業着で工場にいます。私は、メーカーです。物を触っていないと新しい発想が生まれません。机の上で電卓を叩いていても、新しい商品のコンセプトやアイデアは浮かび上がってこないでしょう。物を触っているからこそ、たくさんのことを思い描けます。私は、絶対に現場を離れません!(断固としたお言葉)

■今やりたいことは?
先々、自分の家の家具を全部作れるようになりたいです。たまに作るんですけど、まだまだです。地元の木を使って。木のぬくもり、いいなあ。

【取材後記】
自分の目で見、肌で感じたこと、考えたことを信じ、一期一会を心から大切にするまっすぐで清らかなお人柄が伝わってくるようでした。「私は、なんちゃって社長なんです。」と照れ隠しのようにおっしゃりながら、終始、笑顔。その分、ふとした瞬間に見える真剣な眼差しが記者には、非常に印象的でした。

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