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果実の大きさは、大粒で平均25グラムから35グラム。 |
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和歌山県で梅の栽培がはじまったのは、江戸時代です。 この頃、田辺藩の農民は、米が育たない田畑と重税に苦しんでいました。竹や梅しか育たない痩せ地は税 が免除されることから、重税を免れる一策として梅を栽培したのがはじまりです。また、田辺藩主、安藤帯刀(あんどうたてわき)が租税の軽減と農作物の育成 に力を入れ、梅栽培を奨励し保護政策をとったため田辺・南部を中心に本格的に広まりました。 江戸時代中期には、田辺藩の特産品として、みかんや木炭ととも に江戸へ送られ、大変評判になっていたようです。その頃の梅は、「やぶ梅」と呼ばれ、現在の梅とは比べられないほど品質は劣っていたようです。八代将軍吉 宗が将軍となって江戸へのぼるとき梅干を土産に持って行った話は有名です。 |
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梅は、アジア大陸の東南部、すなわち日本、朝鮮、中国西南山地帯に分布する東洋の固有種で、栽培の歴史は3000年前にはじまります。現在、日本で栽培されている梅は約300種。中国からの移植説と日本古来の原産地説がありますが、はっきりしたことは不明です。 紀州産の南高梅は、比較的新しい品種で、南部川村を中心に紀南地方全域で一番多く栽培されている品種です。昭和25年、紀州の気候風土に適した梅を見つけよ うと、南部川村では村をあげての取り組みがはじまりました。まず、在来種の中から、優良な37品種をあげ、綿密な調査を行いました。 この調査には、地元の和歌山県立南部高等学校園芸科の生徒達が実習として参加しました。5年間にも及ぶ地道な調査研究の結果、南高梅の原木「高田梅」が最も 適した最優良品種であるとの評価を受け、南部高校と高田梅の頭文字をとり、「南高梅」と命名。昭和40年、農林省に種苗名称登録されました。南高梅の、在来種に比べ、豊凶の差が少なく安定収穫、安定収入につながることから梅農家に好まれ、村内全域に栽培されるようになりました。 南高梅は、大粒で皮が柔らかく、果肉が厚く最高級品の梅干に仕上がります。徐々にその品質が認められ、今では、不動の人気を誇る梅のトップブランドとして知られています。南高梅の発見、普及は、南部川村が日本一の梅の郷として発展する重要な出来事でした。 |
![]() ▲南高梅の原木、樹齢百年の「高田梅」は、みなべ農協本所前で静かに村を見守っています。 |
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昭和35年、和歌山県日高郡みなべ町晩稲(おしね)に住む高田貞楠(たかださだすぐ)さんが、近所の勇惣佐七(ゆそうさひち)さんに「内中梅」の苗をもらったことが全ての始まりです。 大事に育てていたところ、高田さんはあることに気が付きました。 「この木からなる実だけ、えらく大粒だな。しかもほんのり紅い。」 その木を母樹としてさらに大事に育てました。これが「高田梅」の基礎です。 昭和6年、小山貞一(こやまていいち)さんは、高田さんが育てた「高田梅」の原木から穂木(ほぎ)をもらいます。 |
”南高梅の原木「高田梅」”については、「梅干百科 お梅ちゃんの紀州梅干紀行」から許可をいただいて、転載させていただきました。ありがとうございました♪ |
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