梅干を知る!−ウメコラム−
梅干の歴史

●梅干の歴史

私たち日本人は、いつごろから梅干を食べはじめるようになったのでしょう?
実ははっきりしたことは解明されていないんです。

こんなにも私たちの生活に密着した梅干。
分かっていることだけでもご紹介いたします♪

従来の説だと、梅の木は中国の湖北省・四川省の高地が原産地なのだそうです。
日本に渡来したのは今から一五〇〇年前のこと。(大和朝廷の時代です)

それは、梅の木そのものではなく「烏梅(うばい)」という燻製にした梅の実だったそうですヨ。

中国語では梅を発音するとき「メー」と読むそうで、その「メー」に「ウ(又は、ム)」がついて今現在の「ウメ」という日本語になった、ということからも梅は中国から渡来したことを立証しているようです。

ところが!

近年、縄文時代の遺跡から梅の実が発見されたんだそうです!

えっ!?
さっき大和朝廷の時代に渡来したって……。

となると、

  • 本当はもっと前から渡来してたけれど、残念ながら物的証拠がなかった!?
  • 実は日本にも在来種があったのかも!?

と妄想は膨らむばかりです。

九州や山梨県などには、野生の梅が自生しているそうですから、もしかしてもしかすると梅の原産地は日本なのでは?という可能性も捨てきれないですよね。

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梅干にはあまりみられませんが、梅は昔々よく歌の題材として詠まれていたようです。有名どころといえば「菅原道真」の歌ではないでしょうか。

●菅原道真-飛び梅伝説

周囲の策略により、突如九州の大宰府に流されることになってしまった道真。
彼は、いつも愛でていた庭に咲く梅の花に歌を詠みました。

『東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ』

その後の鎌倉時代、その梅が道真を慕い大宰府まで飛んできたのです!


嘘かまことか、それは今となっては誰もわかりません。
しかし面白い伝説ですよね。

大宰府に流されてしまった道真は失意の内に亡くなってしまいます。
彼の死後、都ではただならぬ異変が相次ぎ、誰もが道真のたたりであると噂しました。

道真の怒りを鎮めるため、死後二〇年経ってから彼の罪を取り消し、七〇年後には正一位大政大臣が贈られたそうです。

それより少し前、北野に祠が建てられました。
そこへ道真は天満天神として祀られることになり、これが後の北野天満宮となるのです。

彼が優秀な学者であったところから、学問の神として崇められていますよね。

道真が梅を愛したというところから、その境内には梅の木がたくさん植わっているのです。


さて、梅干の一般的普及は鎌倉時代にはいってからなのです。
はじめは禅宗の僧侶たちの食事からで、今でも鎌倉の禅寺などでは、自家製の梅干を漬けているようです。(伝統の名残ですね〜)

その後は、武士たちの間に広がりました。
武士たちの日常食、言わずもがな「兵糧(ひょうろう)」です。

ちょっと笑えないお話ですが、食事として持って行っているハズの梅干なのに、食べてもなめてもダメ!と言われていたそうです。

お腹が空いたり、喉が渇いたら、梅干を袋から取り出して眺めるだけ。
自ずと生唾がでてくるからそれでしのぎなさい、という今ならとんでもないような理由だったそうですよ〜。


江戸時代になると、一般庶民の生活にも梅干がはいってきます。
「梅売り」や「梅干売り」が登場するのはこの頃からです。

元禄年間には、紫蘇で着色する手法が開発され、白干だけであった梅干がより一段と色鮮やかに、いっそう食をそそるものになりました。


昔に比べて現代では、欧米の食文化が入ってきたため、梅干を食べる機会は減ったものの、梅ジャムや梅ドレッシング、ゼリーなどとその形を変えて私たちの日常生活に密着していると思います。

ちょっとブレイク

●美味しい梅干ができるまで

初夏の風が吹く6月、大きく育ちたくさんの実を付けた枝が、その重みでしなってきます。
南高梅も、収穫を知らせるかのように独特の紅色が差します。

でも収穫するのはもう少し先です。
みなべの空を雨雲が覆うそのときが、いよいよ待ち望んだ収穫最盛期をなります。

梅干に最適な梅は、枝から落ちるほど熟した完熟梅です。
果肉が厚くて柔らかく、それでいて皮が薄い南高梅が農家の人々の手によって収穫されていきます。

しかし落ちた完熟梅を拾うその作業は、決して簡単ではありません。

山の斜面に張り巡らされたネットに落ちた梅をひとつひとつ手作業で拾う、その上季節はまさに梅雨まっさかり。
雨に濡れ、さらに滑りやすい斜面で体を支え慎重に梅を拾い上げていくという非常に体力を要することは想像以上の過酷さです。

収穫された完熟梅は、流水できれいに洗浄され品質を検査します。
サイズごとに選別され、それぞれの浴槽に漬けられていきます。
この浴槽には塩と完熟梅が交互に配分され、いっぱいなったところで蓋を乗せ、さらに重しをするのです。

一ヶ月を過ぎた頃には、梅の実から出た梅酢が溢れんばかりに流出しており、美味しい梅干の漬け上がりを知らせてくれます。

浴槽から梅干の酸っぱい香りが漂い始めたら、梅雨はすっかり北上し、みなべ町にはギラギラ照り付ける太陽が顔を覗かせます。

そうなれば、今度は土用干しの合図です。

水洗いされた梅干を、一粒ずつせいろの上に並べていきます。
3〜5日程、天日で干されるのですが、ただ干しておくだけではありません。
まんべんなく乾かさねばならないため、梅干を裏返す必要があります。

万が一の雨に備え、ビニールハウス内で天日干しをすることも多くなっているようですが、みなべ町の風物詩ともいえる土用干しの姿が消え去ったわけではなく、この時期はいたるところで見ることができます。

土用干しが終われば、もう一度品質検査を行い、等級ごとに樽に詰められ加工工場へと運ばれて行きます。

ここで味の調整(味梅にする場合)、カップ詰め(白干梅の場合)されます。

そしてようやく完成した梅干が皆様の元へと発送されるのです。

”美味しい梅干ができるまで”については、「梅干ものがたり〜熊平じいさんのこだわり梅干〜」から許可をいただいて掲載させていただきました。ありがとうございました♪

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